らぐなっぽいなにか

Irisたんと一晩中…

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やっと1年が終わりますね

長いし暗い話もあるので折りたたむ(*'×')
ちょうながいので、せんべいでも食いながら暇つぶしに神経太い人だけ読むといいです。


去年の今頃は引越し先を決めるプレッシャーでいっぱいでした。
三重から関東に戻ると決めたものの、なかなか物件を見て回る時間がとれず。
夏に予定していた物事が頓挫したり、裏切られたりで目の前が真っ暗に。
ずっと悪かった胃から出血が続いたり、免疫力が落ちて病気しまくりでした。
冬コミ後に千葉の母宅に滞在して最終的な物件の選定と契約をしようと、色々な駅を巡ったり、ネカフェ通ったり、不動産屋さん問い合わせたりしました。
自分は描いてなんぼの仕事なので、滞在日数が長引くと仕事時間も減ってしまい今後に響くのでお金と時間も限られてました。

2月の終わりに最愛の金魚2匹と狭いながら我が城に引越し。
金魚の為に新幹線を使い、不動産屋さんの営業時間に間に合わず立ち往生したあげく母宅は猫がいて危険なのでホテル泊まりに。
本来こちらでの心の支えだったものを失っての上京だった分、一層家族愛のようなものが芽生えていました。
1人と2匹、この土地でがんばろうと心に決めました。

3月に入り長距離移動のスケジュールも全て終わり、物が少しずつ揃い、生活も落ち着いてきたところに震災。
水槽の水があふれて床にこぼれ、金魚が外に投げ出されるのではとハラハラしながらPCとか抑えて周りを警戒。
引越しで相当なストレスを与えた後、やっと回復してきた金魚にまたストレスを与えてしまった事で心が折れる。
震源からは離れているとはいえ、人生2度目の震災でした。
ただ1人で生きていくと決めていたせいか、阪神淡路で患ったPTSDが荒治療をうけたかのように吹き飛びました。
早朝だと震度1ですら体が強張り声も出ず、動悸がする状態だったのが一切なくなりました。
逆に怖いくらい冷静で、即対策に動き、過去の知識をゆりもどしてアドバイスや声かけを。
震災に2度も遭っちゃった不幸な人ではなく、遭った事があるから初めての人を支えられる人になりたかったです。

その後古い知り合いに会うことが続いたり、長年異性として自分を見ていないと言っていた人が覆す事があり、災難続きに。
ショックでご飯も食べれない日が続いたり、絵をどれだけ時間かけても描けなくなってしまい、仕事も同人も酷い有様になってしまいました。
人に言ったところでどうにもならない自分の気持ちの問題ですし、1人で生きていくと決めていた以上、今後の仕事や人生への不安を誰にも言えず溜め込んでいました。
今も少しずつ、元の状態には絵が戻りつつありますが不安で押しつぶされそうで絵描きとして悩んでいます。
上手くないうえに思うように描けなくて辛いです。需要という点でも目標を探す点でも不安です。

夏に唯一の肉親の母が倒れました。
深夜、救急隊の人から「どうやってでもいいから来れないか」と再三言われたものの断り、最終的に「搬送先から言われたら行く」と約束して搬送してもらいました。
これから先、搬送後すぐにかかる費用、間に合わなかったときの今後を考えると移動費用を迂闊に捻出できませんでした。
冷たい人間ですが、1人で親と自分の全てを決めて支えているので感情優先にできませんでした。
母が危険な状態になるのは2度目で、過去にあった一度目は手術中に承諾書を1枚追加する事態に。
一緒に手術や術後の説明を聞いていたときに同意書へサインするのとは全く別のプレッシャーでした。
母が知らない所で緊急事態がおき、母の生命を左右するそれを承諾するのに相談する兄弟も親戚も居ない、自分1人での選択。
幼少から「親が無くなれば1人っ子は1人で生きていくのだから」と教え込まれていた自分ですが、その辛さがいきなり来ました。
待合室に戻ると、ご高齢の親戚グループといった方々がおり今後を話していました。
自分の2倍以上の年齢の人たちですら数人で相談しているなか、1人で唯一の家族の安否を待つ間、涙をこらえるのに必死でした。情けないけど心底、心細くて怖かったです。

そんな事もあり、自分の母はいつ呼吸を止めてしまうかわからない大きなポリープを一部残し、常時点眼しないと失明してしまう目を抱え、味覚の一部をおかしくして、心臓が毎回健康診断で引っかかる状態でした。
今年倒れたことで、メニエールで三半規管をおかしくし、脳に異物が見つかり、嗅覚がおかしくなりました。
目に見える痴呆がなく1人で生活できるだけ幸いですが、身体がどんどんおかしくなり、アレルギーで使えなくなった薬が増えていき風邪すら治療が難しくなっています。
もっとしっかりしないと、成人しているのに親に良い生活させられない親不孝な子供だと何時も思います。

けれど幼少から心に傷をつけられ続け、記憶が戻らない部分に身体も傷つけられてきたらしい自分は一緒に生活ができません。
一度父親が失踪して母が倒れ、餓死寸前で助けられ、連れて行かれた祖母の家でもご飯を貰えず、その後親戚を転々とする生活をしました。
再び家族で暮らすものの、容姿も性格も立ち姿からなにまで非難され、大人であれと言われ笑う度合い等感情まで決められて、そうかと思えば可愛げが無いと言われ生きてきました。
引っ越した土地では言葉が違う、よそ者だと泥を食べさせられたり、持ち物を壊されたりしました。
商売をしていたので、子供社会にいてもお客さんの子と自分であり、大人に何かされてもお客さんと揉めて困らせたくないという気持ちで全て我慢していました。
親を支えるのは子の役目。それも身体にしみ込んでいて、今それが不十分な自分を自分で責めています。
(ちなみに父親は母に頼み込んで離婚してもらったあとも色々あって今は連絡先も何もかも分かりません、絶縁しております)

正直、悲しいけれど親か自分が死んで解放されたいと常に思っています。
特に1人でいる自分には将来的な何かもないですし、親の為に消化している人生というのは本当しんどいです。
といっても1度結婚はしたからバツ1の負い目もあるし、いい歳だしもうないだろうし子供も作れないだろうし。
仲の良い人が出来ても、子供のころから母に都度言われた「お前はその人にとったら誰かのかわりで、その人と遊べるときはお前なんて要らない。誰もお前なんて一番に思わない、人に好かれる人間じゃない」「物があるから人が集まってくれるだけ、誰もあんたそのものは見ていない」という言葉に囚われています。
相手の意にそぐわない事を主張したとき、不安にさいなまれたとき、ああやっぱり自分は親の言うとおりなんだと思ってしまいます。
自信が無くて人より劣っていると自覚しているから、輪から外れたとき途端に不安になるんですよね。

話が脱線しすぎました…。
ネトゲをやり始めて知り合った人は、仕事も関係なく、親の監視の目でもお客さんでもなく、適度な距離で知り合えてとても過ごし易かったです。
ただ、そこにいるのはあくまでネトゲの例えばpiyomiの知り合いであって中の人の知り合いとはまた異質でした。
それでも居心地がよく、毎日話が出来るギルメンや知り合いがいて逃避かもしれませんが嬉しかったです。
そういった人と接するときも、自信が無いからこそ頑張っていた部分もあります。
こんな自分と遊んでくれる人が嬉しかったし、遊べる環境を作る中で出来ることがある喜びもありました。
ただ求められて我慢してばかりが多くなると辛いな…と思うときもあったり。
あと大事でずっと頼りにもしていた人がGvやボスに心が動いてそちらの仲間の下からほとんど戻らなくなったとき、寂しいし相手の環境は自分には合わないし、結局自分から去りました。

今年抜けた無敵や焼き鳥も長年過ごしてきて愛着を持っていました。
Gvはそんなに好きじゃないけれど、無敵の子が遊べる環境を大事にしたかったし、その中で焼き鳥が強くなっていくのも願っていました。
焼き鳥というか…無敵夢見月とか、焼きが沢山いた頃とかお祭りやお手伝いとの計画に奔走したのもいい思い出です。
ADPKのときは連日大変だったけれど「NARUさんは突飛で酷いだけじゃなく、可愛いところもあるなぁ」と知ることができてそれはそれで良かったです。
無敵の子達以外でも別ギルドの子や、一時的に無敵だった子、都度話を聞けるときは聞いて何か手立てはないか考えていたけれど、結果上手くいかないことも多く自分の不甲斐なさに落ち込んだりもしました。
レレイウもやっと糸口が見えた矢先、RRの仕様に絶望して居なくなってしまいショックでした。
Gvの戦闘中は優れたユニットではない分、余計に裏方で頑張りたかったです。
(範囲支援のタイミングを他職に言われたり、サクラをどの職にしていいかわからないって人よりは頑張ってた気が)
色々な事情が重なり、風潮的にも私が焼き鳥で出来ることが少なくなり、悩んでいたところで背中を押す出来事があり脱退しました。

焼き鳥はクセの強い困った子も多いです、どこもそうかもしれませんが問題も抱えているし、表に出せない事もあります。
けれど今の強さは決してただ一人の結果ではなく、個々の努力や考え方で底上げされた部分も大きいです。
頑張っている人が報われて恥じる要素の無い同盟になれればよいですが、満場一致でそうなるのは難しいですよね…。
とりあえずは、今の焼き鳥の中の人たちが楽しんでいるならそれでいいんじゃないかなと思います。

抜けてからずっと無所属なのは直ぐに他へ行くのも、残した無敵の子の立場を思うと難しく、義理を立てたいというのがありました。
また好きだった無敵や焼き鳥は唯一無二であり、他というのも気持ちが切り替わりませんでした。
人と繋がっているのが好きでネトゲをしている自分は1人で居るのが寂しくて仕方ないです。
けれど他に行く勇気も無いので結局、年内ぼっちで過ごす事になりました。
来年も今のところ予定がありません。
ちょっとやってた平地もゴタスタでやる気なくしちゃったし、相方ではないけどそれっぽい人ともギルド離れる前後に別行動になっちゃったので。
ベル鯖でお世話になったギルドが復活してGvするなら戻るのですが…大半が引退、無期限休止中なので。
自分から居場所を作るのが苦手なので、すでに出来上がったコミュニティに1人ではいるとか、求められていない場所に行くとか出来ないです。

ネトゲもぼっちでリアルも目標も無く疲れる案件ばかりな自分に来年というものは重いですが、足掻いてもくるものなので…。
人と接していても上手くいかないというか、最近特に人の輪に居ても違和感を覚え、自分で自分1人を支えることが出来なくなっています。
いっそ嫌われて周りに人が居なくなって1人になるのが自分らしいのかなあとも思ったりします。

今年は本当に変化とショックなことが多くて疲れました。
最後までこんな気分ですが、来年はせめて人の邪魔や迷惑にならないようにしたいです。
そのためには今よりもっと消えるべきなんかなと。
生きちゃってごめんなさい。今年1年お疲れ様でした。

| その他 | 20:22 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

ROを離れた今も、ぴよみさんのブログは何時も興味深く拝見させて戴いています
私はネット越しでの関わりしか有りませんが、ぴよみさんの気遣い、優しさ、言うべき事は言う強さや誠実さ等、大好きです
自分勝手な言い様ですが、今が辛くとも生きていて欲しいと思っています

お辛い事が続いて、心が疲れてしまっているのですね
「よく頑張って来たね。今は頑張らなくて大丈夫だから、ゆっくり心を休めてね」って、頭を撫で撫でしたい気持ちです

偶然私も、心のやりようが無くなってしまって、自分の人生の纏め的な記事を書いたばかりです
書いた事で、気持ちの整理に成りましたし、読んで下さった方々に心を救われた思いでいます
私も、ぴよみさんの心を少しでも軽く出来る存在に成れたらと思います

良いお年を

| ゆま | 2011/12/31 21:40 | URL |

>ゆまさん
大変な時期にお気遣いありがとうございます。
重い話で迷ったのですが、年末にどうしても書いておきたくて記事にしました。
ドン引きされちゃうだろうな…と思いながらも、この1年自分の行動の裏にあった悩みとか不安を吐き出したくて。

ゆまさんの記事に自分を投影するところもあり、コメント残そうか迷っていました。
私も過去に搬送されたとき、自分の住所すら郵便物を見ないと伝えきれない状態なのに、着替えて最低限必要なものをカバンにつめて玄関まで這って出て行った事がありました。
小さな意地で連絡する親戚も友人も居ないと言い張ったり…。
それ以外でも1人でやりきれない自分に悔しくなったり、環境に感涙したりが何度かありました。

どんなに大人になっても、独立したいともがいても血筋は切れないし、1人で出来ることって限界があるんですよね…。

私も、ゆまさんの考え方が大好きです。
そう思ったきっかけはROの臨時に対する行動や考え方でした。その後もBlogの記事等を拝読するなかで、より広くお人柄を知ることが出来、ますます好きになりました。

自分が好きだと思う人に言葉をかけてもらえる、そんな自分の一反をちょっとだけ好きになれればいいなと思います。

ゆまさんも今後、大きな選択があるかもしれませんがお身体に無理がかからない範囲で、ゆまさんのペースで進んでください。

| あやせ | 2012/01/03 20:05 | URL |















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